昨日の夜から降り始めた雨が今日になっても降り続けています。薄暗い空から、ポツポツと決して強くは無い雨が落ちてきます。
9日の月曜日から金曜日の夕方まで開店以来初めてとなる臨時休業をしてしまい、皆様にはご心配、ご迷惑をお掛けしたことと思います。ホント、すみませんでした。中には、私が倒れちゃったか!?と思われた方もいらっしゃったかもしれませんが、私は相変わらずの元気印ですので、ご心配には及びませんよ。
実は、9日の早朝、まだ外は真っ暗な午前3時42分、身近な人物が急に亡くなってしまったんです。享年80歳。病に倒れてから十数年、ずっと施設のお世話になっていましたが、前日まで何ら異常もなく、いつもと変わらない様子だったと言いますから、余計に驚かされました。また、その前日8日って言う日は、4年前に亡くなった奥さんの命日でしたから、不思議な縁を感じてしまいます。
この写真は、故人の昔々の姿です。
十代の頃に勤め始めてから、職場で倒れるまでの数十年の長きに渡り南部鉄器の職人一筋で働いてきた故人でした。
この場面は、熱く溶かした鉄を型に流し込む作業ですね。柄杓を持っているのが故人です。
決して名工と呼ばれるような存在ではありませんでしたが、鉄瓶や釜、鍋など様々なものを手掛けていましたし、自分のことを「会社のなんでも屋」と呼んでましたしね。きっと一途に鉄瓶だけを追求していたら、後年に「現代の名工」と呼ばれていたのかもしれませんけど...
もう一つ故人を思い出す時に「お寺」さんの存在を外すことは出来ません。とっても信心深い人だったんです。毎日の食事の前には必ず仏様に手を合わせ、お寺で開催される法話会には欠かさずに参加するような人でした。
故人の法名は「釋 聞悦」。お寺での法話を「悦んでお聞きになっていましたね」という思いを込めて御院主様が名付けて下さいました。まさに、故人にピッタリの法名です。
故人が信じ続けた教えは、親鸞聖人が広めたことで知られる「浄土真宗」。
ちょうど今、岩手日報の朝刊に五木寛之氏が「親鸞」という連載をしています。今まで一度も読んだことがありませんでしたが。昨日初めて読んでみました。その中に、次のような法然上人のお言葉があります(抜粋)。
「目には見えずとも、この世界にはたくさんの仏様がいらっしゃる。(中略)阿弥陀仏という仏様は、この世に生きる哀れな者たちを決して見捨てない、と固く誓われた仏様じゃ」
「この仏こそ自分の求めていた唯一の仏様、(中略)感動のあまり、思わず叫んでしまった。南無、阿弥陀仏と...」
「この世の哀れな者を一人残らず救うぞ、という阿弥陀仏の誓いを、本願という。その御仏の本願を信じて、思わず体の奥からもれ出る声、それが念仏というもの。声に出さねば人には届かぬ。まして御仏には。」
故人の思いもきっとココに通じているんだと思います。そして、その信じる気持ちが浄土の世界への道しるべになっていることでしょう。残された私たちは、仏様に手を合わせ、安らかにと祈るばかりです。
信教の自由を認められている日本では、お正月には神社で参拝し、お盆にはお寺さんにお墓参りをし、クリスマスで盛り上がってと、色々な場面で都合よく触れていますよね。でもやはり先祖代々が眠る場所、そして今を生きている私たちが将来行きつく先もお寺さんが多いと思います。お寺と言っても宗派も色々です。
自分が将来お世話になるであろうお寺さんが、どんな宗派で、どんな教えなのか。そんなことを考えておくことも大事なのかな、と思ったりしました。
まさに、故人のように..
ということで、「よしだ屋」は本日より通常の営業に戻りましたので、どうぞよろしくお願いいたします!
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